202191 自分に優しくする

 

 以前紹介した共依存の本と並行して、この本も読み進めている。

自分はいわゆるPTSDといえるほどの壮絶な体験はしてないのだが(自分の中で苦しいことは色々あったけど)、創作活動の資料にするために読んでる。かなり参考になる。

本の中で紹介されてる治療の方法が、去年受けてたカウンセリングの先生にもこれ言われたなぁと思い当たることが多くてなかなか興味深い。

あと患者の実例紹介みたいなのが多いと色々創作のアイディアも湧きやすいなぁと思いながら読んでる。

 

今書いてる作品に色々組み込みたいと思ってた要素が、組み込めそうな感じがある。

トラウマ治療の過程を描くことをテーマにしているので、その中でCBTの枠組みを使いたい。

本で読んだ知識だけじゃなくて、実際に去年自分が受けた治療で得たことがかなり活きているなぁという感じがしてうれしい。

治療は卒業したのだけど、カウンセラーさんに言われたことは今でもよく参考にしている。嫌さが他人に理解されにくい私の実家のこととか色々、受け入れてもらえたという感覚を得られたのが大きかった。自己肯定できるようになった。

思い出したくないことが色々あり、今でも怒りや悲しみが消えなくて振り回されることがある。でもそういうマイナスな感情に対して「なくしちゃっていいんですか?」っていつも言ってもらえたのが一番うれしかった。

過去の不快な感情があるから今の作品が描けてるという風に言ってもらえて、それが一番の救いになった。こんなに参考になるなら経費で落とせばよかったなぁ~…

 

治療で一番変わったことは意識的にコーピングできるようになったこと。

・怒りの過集中の原因になりそうな情報に近づかない

・疲れてることに気が付いたら意識的に休んでコーピングする、疲れてる時のサインを自覚する(ごはん食べる、風呂入るのすらしんどくなったら注意)

・反省はするけど自分を責め立てて攻撃しない

ができるようになった。

今日は少し落ち込みかけたので、いつも以上に自分に優しくすることにした。

あとで料理して気分転換しよ。

 

ここ一か月ほどは創作活動の影響で「物語を作る」ことを重点的にやってるので、それのおかげでさらに調子がよくなった。

物語を作ってる時が一番癒されるし幸せみたい。自分の世界に没頭して、他のいらないものがなくなっていく感覚が心地いい。頭の中でもやもやしてた問題意識がストーリーになって落とし込まれるのが快感。

前までは自分の情緒不安定に振り回されてる状態が普通で、調子がいい時はフラットな感情になれた。これは息してるだけで疲れ果てる…燃費が悪い…。

カウンセリングを経て安定してる状態が普通なとこまで行けた。

物語に没頭していると、フラットな状態の幸福感が底上げされる。この状態だと他人にイライラしてしまうことも少なくなった。やっぱり暇だとろくなことしないな。

これからの生活でも毎日こういう時間を作りたいなぁ…。参考書を読んでると色々思いつくので、毎日参考書を読むようにするのは現実的に続けれそうな感じがする。

 

最近は愚痴ったーも使ってない。虫恐怖症なので家にクモが出て怖かった時に少し吐き出したくらい。

 逆に創作の糧になりそうなジャンルで刺激の強い情報をとりにいく試みもしている。YouTubeでニュースを見るようになったことと、精神医学の本を読んでること。

今後の課題はネット依存克服。これは精神状態ともリンクしている。ネットしすぎた日は頭がごちゃごちゃして不快だし、仕事にも集中できてなくて自己肯定感も下がる。

昨日はいつも使ってしまうサイトをアクセス制限して、スマホの電源切ったら快適に過ごせた。

今日ちょっと使ってしまってるけど、また明日からアクセス制限戻してネットから距離を置いて生活する。 

 

202191昔の日記読み返してダメージ食らう

にああ~かなりショックだ…。引きずりそうなのでコーピングのために今書いてる。

昨日昔の日記を読み返してて、朝起きたら時間差で落ち込んでた。読んでる時は爆笑してたんだけど、ちょっと今はだるくて動けなくなりそうな気配がある。動けてるけど、だるい。体がだるおもい、ずーんとする。

 

一番落ち込んでた時期の日記に家族のことに一切触れてないのが逆にショックだった。今思い返すとあの家にいたことがストレスだったのに(実際家を出てからの数年でびっくりするほど健康になってきてる)、当時の自分は自覚できていなかった。

 

当時の自分は「両親に愛されて育ったはずなのになんでこんな仕上がりなのか」とか自分を責める言葉が多くて、自分にかける言葉がとにかく酷い。あまりに自分に対する仕打ちが酷くて、我がことながら可哀想になってしまった。

「こんなんで頑張ってるつもりなのか」って繰り返し書いてるけどそれ母親が裏で陰口言ってた内容と全く一緒なんだよなぁ…

母親の陰口を聞いてしまった時のことは日記には記されてなかった。闇。

未だに普通の家庭がわからないけど、本当に愛情注がれて育った子は裏で両親が自分の陰口で盛り上がってるの聞いてしまったりとか、そういうことは無いんじゃないかと思う。父親に公害呼ばわりされたりしないんじゃないかな。忘れてたわ。その呼び方。

完璧になろうと、いい子になろうとしていた。違う人間になろうとしていた。あの頃はそうならなきゃいけないと思ってダメな自分を責めていたけど、なんでそこまで脅迫的にいい子で正しくいようとしていたのかは考えもしなかった。

内向的で人と関われなくて暗い自分は母に否定されるからだった。

わたしが不幸になったら両親はきっと悲しむだろうと本気で信じたかったみたい。まともじゃないとがっかりさせる、悲しませると思ってた。親孝行したいとか書いてた。

実際はあの人たちは子供に興味はない。わたしに興味はない。

がっかりはしていた。「娘というアクセサリーが、自分の期待通りでないと自分たちの自尊心を傷つけられたように感じて不快になる」という意味において。

「家庭を持ってるまともな自分、まともな家庭を持ってる自分」という体裁だけが大事なので、子供を一人の人間として興味を持って向き合うという発想すらなかったんだろう。

 

自分を傷つけることが両親への攻撃になると思って知らんおっさんとヤッたりしたこともあったけども、そもそも親はわたしに興味がないので、世間体に関係することでなければわたしがどうなろうと興味なかっただろう。

でも諸々の自傷行為はしてよかったと思ってる。自分が苦しんでることをやっと自覚できた。

一時期首絞めを日常的にやりすぎて常に手が震えてる時期があったんだけど、それも日記には書いてなかった。ツイッターで報告してたからなのもあるかもしれんけど、そういう重要なことに全く触れてないあたりに闇を感じた。

ちなみに呼吸制限を日常的にやって毎日酸欠になると、脳に影響が出るというのを実地で体験したな。家出てからは首絞めしなくなったので手の震えもなくなった。あとものが掴めなくて取り落としたりとかも無くなった。

月一で鼻血出てたのはストレスなのか酸欠の影響かわからん。これも家出たらなくなった。

リスカとかわかりやすい自傷行為をしてなかったんで自分はそこまででもないと思ってたけど、今思い返すと中々限界だなぁと思う。本当に色々。

なぜか人に対して萎縮してしまうのも家離れてからなくなったなぁ。拒食症気味で食べることが苦痛だったこととか、本当に細かい限界不健康エピソードは上げだすとキリがない。

家族の声を聴くと死にたくなるので常にヘッドホンでなにかしら聞きながら過ごしてたのとか。寝る時も音楽か水音bgmながしてた。家族の生活音、話し声が聞こえると死にたくなって、ひどい時は震えてその場から動けなくなって固まったりしてた。これは精神医学的にはどういう状態なんだろうな。適応障害とか?全部家出たらなくなった。

今読み返してもバカだし色々できないことあってダメな子だけど、社会的サポートも知識もない中で一人でよく頑張ったなぁと思う。なんか本当に読んでて可哀想になってしまったので、今の自分が労わってあげたい。

いくらダメな子だったとしてもあんな形で心理的な罰を与えたり、切り捨てて嘲笑するような親はおかしいよ。もっと違うやり方で子供に寄り添える親もいるはずだよ。と今になっては思う。

 

心理的に罰されたと言ってるけどそもそもそれは思春期あたりの話で、幼少期は身体的な罰もあった。これが虐待なのか未だに自信がない。わたしが虐待ってことにしたいのか、本当にあの家が歪んでいるのかいまだに判断がつかない。

些細なことで父親がキレて蹴ったり殴ったりしてきたので父親がこわかった。今も怖い。足蹴られてへたり込んだの覚えてる。「こういう時人は頭を一番にガードするんだなぁ」と思いながら殴られてたのか蹴られてたのか、なんかガードしてたのを覚えてる。母親が間に入って庇ってくれた記憶が全くない。

でも小さい頃なら怒られて少し叩かれるくらいは誰でもあるような気もする。わからない。でも、母親はあそこまで手は上げなかった。悪いことしたときにビンタされるくらいはあった気がする。母親の手をあげる頻度と比較して考えると父親のキレやすさはDⅤと呼んでもいいレベルだったのでは?わからない。いまだに自信ない。

虐待の当事者は虐待を否認するという知識と、実際に普通の家庭でも多少叩かれたりはするんじゃないかという疑問どっちもある。あからさまに毎日ぶん殴られて親に死ねとか言われてる方がまだわかりやすい。うちはギリギリグレーというか、かなりわかりにくいし人に言っても理解してもらえるか微妙なラインだと思う。理解されないと思ってるので、カウンセラー相手でもない限り人には言わない。

 

幼い頃わたしは弟を虐待してた。お風呂で顔に水をかけて息できなくするのが楽しかった。あと車のおもちゃに頭を叩きつけて「たのしい」と言っていた。なんでやったのかわからない。

親が自分より弱い子供にマウントをとって、わたしは自分より弱い弟に同じことをしたんじゃないかと今になって思う。幼稚園の時耳の聞こえない子を意味もなく差別して攻撃したのも同じ動機では?

小学校の頃は盗み癖があった。意味もなく嘘もついてた。本当のことを人にいいたくなかったのではないかと思う。持ってる教科書をないですと言ったりとか。よくわからない。

自分が加害者になった時のことはカウンセラーにも言わなかった。あまり思い出したくない。弟にひどいことしたこと。弟もわたしにひどいことたくさん言ったけど、今は申し訳ないと弟に対しては思う。虐待の加害者に対して色々言いたくなるのは当たり前だよねと今は思う。 弟には大学生ぐらいの時に一度謝って和解しかけたんだけど、なんかその後もダメで修復不可能なほどこじれてしまった。普通に性格の相性が悪いのもあったのかもしれない。

もう実家とは絶縁したので今後関わることはないが、弟に対しては今は憎しみはない。彼もアダルトチルドレンで大変だろうけど、人生うまくいくといいねと今やっと思えるようになった。なんかこの文章書いてるうちに消化できた。

 

父親のことはどうでもいい。正直。好きか嫌いかで言うと好きよりかもしれない。

DVは単身赴任から帰ってきたらしなくなった。キレやすい性格も丸くなってた。

それにあの人は無関心な感じをあまり隠さないので、母親に感じるような気持ち悪さはない。

しんどいのは母親。父親と同じで無関心で冷たい人間なのに、世間にいい母親に見られたいがために過干渉してくるのが最悪だった。

裏で陰口言ってるのバレてるのに、わたしが助けを求めて向き合ってほしい時にことごとく無視してきたのに、ケーキ焼いて優しい声色で話せばいい親ぶれるとでも思っていたんでしょうか。その浅はかで薄汚い性格が気持ち悪い。無理。嫌い。人として嫌い。

 

許せないと思っている自分が苦しいから執着を手放したいと考えている。まだわからないけど、少しずつ自分の気持ちに整理がついて変わってきている気もする。

 わたしが親にやられて嫌だったことを人にしてしまうように、親もわたしにやったようなことをされて育ってきたのではないかと思う。

両親の祖父母の言動を思い出すとまぁまぁ思い当たる節がある。

だから誰も悪くはないのではと思うことも最近ある。代々負の連鎖が続いていて、この家に生まれたのは運が悪かった。わたしも両親も弟も、祖父母も。

運が悪いことに理由なんかないので、わたしはわたしの傷を癒すことだけ考えればよいかな~とも思う。

 

以前紹介した共依存の本を読み進めていて、そこに出てくる「人生の棚卸」をわたしもやるようになってきた。いや、前からしてたけどさらに意識するようになった。

読んだ時はしんどそうだからわたしはやんないかなぁと思っていたけど、やってみるとすっきりする。昔のことはしんどくてあんまり思い出したくなかった。最近それも変わってきてるように感じる。

あの家を出て今2年?3年?くらい人と関わらない仙人みたいな暮らしをしていて、今の生活の中で自分がどんどん癒されて回復してきてるな~というのを実感する。ここまでよくなると思わなかった。

拒食症気味で食べるのが苦痛だったのに今は自炊が趣味になってる。今年の頭までは生きる意欲が低すぎてすぐ死にたくなってた。未来に希望がなかったので…今は目標があるので、未来のことを考えれるようになった。猫飼いたいんや。

色々吐き出したらすっきりしたし気分も戻った。コーピングできてえらい。

 

批判したくなる気持ち

根源的に誰かを見下したい、マウントを取りたい気持ちがあるのかもしれない。

こういうところ、両親に似ていて本当に嫌だ。

 

ネットとかであほな言動している人を見るとすごくイライラしてしまう。

ここ数日はぐちったーは意識的に見ないようにしているが、以前はぐちったーで愚痴ってた。

どういう傾向の人間が嫌いか、見下しているか、どこがどう嫌か延々と吐き出し続けて不快の自家中毒状態になることがよくある。

もしくは昔言われて嫌だったこと(主に親から)を何度もなぞったり。

以前はこれが今より酷くて数時間~下手したら3日とか一週間とか余裕でずっと怒りの過集中になってしまってた。今思えば超暇人だな。カウンセリングの効果か今はだいぶマシになった。

あの頃の怒りが10としたら今は6とか4くらい。自分の気持ちが自分でコントロールできなくて、気分の乱高下がジェットコースターなので生きてるだけで疲れ果ててた。これはネット依存なのもあるかも。今はイラつくことはあるけど、自分で扱える範囲の衝動って感じする。

とはいえ今も毎日少しずつ不快な気持ちになっている。

 

自分でも言ってて不快な気持ちになるのは、人格批判をしてしまうからなのかも。こういうところも両親と同じ…ああ嫌だなぁ。親から引き継いでしまった最悪な行動パターン、ものの見方、考え方すべて消し去りたい。

その人の愚かな行為を論理的に指摘するのではなく、愚かな行為をしてしまう人間性について見下してしまう。愚かな言動をしてしまう性格、頭、育ちの悪さ、知性のなさ、認知能力の低さをあげつらって馬鹿にしてしまうのだ。

だから自分でも自分の言葉に無意識のうちにうんざりしてしまうのだと思う。

また、幼少期に親にされて傷ついたことを他人にして復讐したい欲望があることに、自分でも薄々感付いていたのだろう。

親の言動に傷ついて親を軽蔑して憎んでいるのに、同じことをしてしまう自分に心底うんざりする気持ちが心の底ではあったのかも。そういう自分への無意識の怒りが上乗せされてますます目の前のバカにイラついていたのかも。

たちが悪いのが、実際相手には問題があることだ。わかりやすい責めどころがあるので非難している自分は正しいと思い込めてしまう。でも実際正論に自分のストレス発散を乗っけてるのだから、動機が不純だ。

 

どうしたらやめれるだろうか。人格否定と指摘がセットになっていたあの家のルールに未だに縛られている事実が嫌だ。

見下すでもなく怒り狂うでもなく、目の前の不愉快な出来事に対処できるようになるにはどうしたらいいのか。

こうやって言語化するのは解決策としてありだと思う。反省する機会になる。

 

少しずつだけど、他人に優しくする余裕が生まれつつある感じはしている。常時自分が攻撃される危険性のあるあの家ではガッチガチに自己防衛しないと生きていけなかった。親の人格否定をノーガードでそのまま受け取ってしまった時期が人生で一番追い込まれていた。毎日毎秒頭の中で自分に「死ね」「殺す」と言っていた。

今はわたしがのびのび生きていても横からふと刺してくるような人間がいないので、成長する余裕が生まれてきた。

母は二言目には「幼稚園児の頃から成長してない」と言ってきたけど、成長を阻害していたのは明らかに家族だった。これもどうせ「人のせいにするな」なんだろうけど。でもあの家を出てからどんどん健康になり前向きになり人に対して萎縮することがなくなって、やっぱりわたしにとってはあの人たちの存在が毒だったんだなぁと改めて思った。

人に「幼稚園児の頃から成長してない」と呪いのように言い続けてきた母はわたしが見ていた20年弱まったく成長してるように見えなかったけど。何か言ったらすぐ「人のせいにするな」で娘を黙らせてきた母はいつでも全てを娘に責任転嫁することしか頭になかったけど。

なんの話してたっけ。

こうやってずっと反芻してしまうのがよくないんだけど、家族への恨み言に関しては実際恨みがあるしまだやめれないかもしれない。

ネットの向こう側の無関係な他人に対しての感情は、もう少し余裕ができてくれば変わるかもしれない。

 

あと最近「感謝が大事」的な言葉がわかるようになってきた。

前は感謝することないし、と思っていたのだけど。ようは物事のどこに注目するかで、

「ありがたい」ことに注目できる方が幸福度が高いし、気分良く過ごせた方がパフォーマンスも上がるってことなのかな。なんでも感謝できる人の方が、周りとも円滑にコミュニケーションとれるだろうし。

「社会が、政府が、周りが完璧でない、他人が自分に与えてくれなかった、他人が自分の期待通りに変わってくれない」ということにずっと文句を言って自分は被害者だと思っている人間が本当に苦手で苦手で…。

現状がクソならクソなりにできる努力や対策もあるだろうに、建設的な方向で情報収集するなり自己投資に時間と労力回すなりいくらでもやりようはあるだろうに、ツイッターで「ヘルジャパンだから私かわいそう」アピールしてるだけ。

そういう人間を心底軽蔑してしまうんだけど、そういう人見てるとネガティブさとか周りに要求するだけで感謝しない姿勢とか自分はやめようと思える半面教師になった。

見てて荒れるってことは自分に似てる部分があるからなんだと思う。昔の自分は今より被害者意識強かったしネガティブだった。今もそういうところはあるかもしれないけど。自分の嫌な部分を見せられてるようで見ていて腹が立つのかもしれない。

 

家族に対して感謝できないなぁ。それが負い目にもなっている。

自分の生まれた家は機能不全な方の家庭だとわかってるのに、親を憎んでいるのに、どこかで親に感謝できない自分に罪悪感を持っている。

世間のだいたいの人は(腹の中でどう思ってるかは別として)ある程度の年齢になったら親に感謝してると言っているし、自分の中でもそういう健全な親子関係に憧れがあるから。

こうやって怒りを持ち続けて執着しているのも不快なのでさっさと手放したいのだ。だけど長期戦になるかも。

息をするように人格否定を繰り返して育ててくれた親への怒りを手放したいけど、許せたらきっと楽になれるけど、どうかなぁ。

縁を切った後も過去のもやもやの処理は続く。

 

 

 

20210821 怒りへのコーピングについて

ブログ開設したら記事書くのが楽しくなっちゃった。

このブログは自分の内面、精神的な課題について定期的に振り返る場にしたい。

次の振り返りは29日にする。

 

前からの主な課題は怒りのコーピング。

 

「ネガティブな他人」が気に障って仕方がない。社会に対してとか、他人に対して憤って攻撃的になっている人を見るとしんどくなるしものすごいイラつく。

現状に文句を言うだけでなにも行動に移さないところが、昔の自分に似ていて不快なんだと思う。

これでも一時期よりはマシになったけど、それでもイラつくことがある。

縁切りした家族に昔言われたことやされたことを思い出してイライラすることもよくある。

 

今まではそういう人に対する気に入らないところを延々と並べ立ててしまっていたんだけど、そういう自分にも違和感がある。相手に問題があると思っていても、人を責めたり見下すような発言をするのは自分の心に負担をかける。

気に入らない他者でなく、気に障ってしまう自分に意識を向けた方が建設的だと思い始めてきた。

 

少し前までセラピールームに通っていたのだが、そこでの相談内容も主にはこれだった。

怒りへの対処は今もできているのかよくわからない。そもそも不快にならないように、そういう情報がある場所から距離を置いている。重度のツイ廃だったのでツイッターやめて、親とも絶縁した。この2つでかなり改善した。

自衛はできるようになってきたけどそれでもふとした拍子に目に入る情報でイライラしてしまうことがあって困っている。怒りの元から距離をとる技術はついたけど、運悪く嫌なものを見た時の感情の処理がまだ拙い。

カウンセリングで教えてもらったのは「タッピング」とか。なんか体触ってるうちに気が紛れて大丈夫になる的なやつ。でも怒った時にあんまりやろうという気持ちになれない。

 

解決策として今考えてるのは、逆にとことん見て向き合って、作品に落とし込めるレベルまで考え抜くこと。

どこが嫌なのか、どう嫌なのか、嫌さの構造を解析できるところまで行くと不快なものは不快なままだけど「理解できないものに対する恐怖、嫌悪」は減っていく。なにがどう不快なのか言語化できることで消化できる部分がある。

今書いている作品にもそういう側面があるけど、次のテーマとしてネタにするというのが一番健康的かもしれない。

ネタとして活かすためにも、愚痴ってストレスを発散してしまうのはやめたい。もったいない。そのまま熟成すればいいものができるかもしれない。

 

次の振り返りまでの目標はぐちったーを使わないこと。アナログ日記はギリOKにする。でもネタを思いついたらそっちの方がいい。

あとは作品の参考になりそうな分野に関して、敢えて刺激の強いしんどい情報を取りに行くこと。

ただこれはメディアは選んだ方がいい。ツイッターみたいに素人の偏見と感情論が濁流のように流れてくる場所は処理する情報が多すぎてきつい。同じテーマでも、本は一人の意見が編集者も通してある程度推敲して書かれているので、まだ冷静に読める。偏ってる本はあるんだけど、偏ってる素人が10人一気に喋ってるよりは偏ってる専門家一人が喋ってる方がまだ聞ける。

作風的に、きついしんどい情報はわたしの作品には必要。嫌なニュースを1件見るのは不快なだけだけど、100件200件単位になってくると概要を分析できるようになってくる。そこまで行く必要がある。

 

 

 

ポエム工場開設

本blogの方にポエムな文章を載せたい欲求に駆られることがたまにある。

でも恥ずかしい。あまりに生々しい個人的な話をしたら、コンテンツを楽しみにして来てくれている読者さんも引いてしまうのではないかと思う。

メンヘラ治療についての話はたまにしたくなることがあるけどやっぱり本blogでは恥ずかしい。

それに人に見てもらえる場所には出したいけど、あんまり多くの人には見られたくない。反応とかも怖いから欲しくないし。交流とかで余計なストレス抱えたり、人に見られることを意識しだして本質から逸れるのも嫌。

なので、人目につかなそうなところでポエム工場を作ることにした。

 

読書記録も付けたい。読んだ本でいろいろな感想を書きたくなることがあるけど、本blogの方だとやはり気が引ける。いいと思っても後で考えが変わるかもしれないし、重い内容の本が多いので表現の仕方に気を遣う。

それにあんまりまじめな話をしたくない。一回味を占めるとさらけ出すのが気持ちよくなって、承認欲求を満たすために「うまいこと書いたろう」としてしまうので。。。

 

 今読んでいるのはこれ

共依存症12ステップへのガイド

共依存症12ステップへのガイド

Amazon

 

全体的に宗教色というかスピリチュアル色が強いので、そこは差し引いて読んでる。キリスト教のノリわかんないし…。

でも筆者の体験談やそこから来る考察には刺激を受ける部分が多い。当事者じゃないと出てこない説得力のある文章だと感じた。

特に「被害者をやめる」という考えが今の自分の問題意識に合っている。

他責にも自責にも走らず傷をいやすというのがなかなか難しい。自分の場合気分によって両極端に寄ってしまう。

それに事実がどうかは置いといて、「自分は被害者だ」という自己憐憫に浸るのが気持ちよくなって現状を変えるための具体的な行動をしなくなるというのも問題だと思っている。わたしはそうだったから、やめたい。

「他人(と自分)をコントロールしようとしない」「自分の世話をする」辺りの考え方はアドラー心理学感もあり理解しやすかった。

中盤以降から特に、「自分の過去に向き合おう」的なフェーズがあるので読んでて色々思いだしてしんどくなってしまったけど、それくらい心を乱される、衝撃を感じる本に久しぶりに出会った。良薬口に苦し的な、わたしにとっては心をかき乱されるけど血肉になりそうな一冊という感じがする。

この本でいうところの「人生の棚卸し」をするためにこのブログを作ったのかもしれない。 

 

20210821

ここ数年で生理が劇的に軽くなった。年をとるのはいいもんだと思った。

老いるのが怖かったんだけど、実際年を食ってみるとわたしにはババアの方が向いているような気がしてくる。

 

若い時は若いというだけで気を遣ってくれた大人が「まだまだこれからだね!」的なお世辞を言ってくれるので、若いだけで全くキラキラしていない自分には負担だった。

自分も他の人みたいにキラキラ充実しなければいけないと思い込んでいた。

周りの大人というか、親の「普通のこどもになってほしい」という言外の期待に応えるために必死だったことが今ならわかる。当時は自覚はなかった。

親の期待から外れると無視されたり人格否定されたり馬鹿にされたり。あと陰口言われたりするので、当時の自分にとっては死活問題だった。

でもどうしても親の期待するような子どもになれなかったので諦めた。そこから少し生きやすくなった。

期待に応えるのをやめたので取り繕う必要がなくなった。友達を作らなければいけないのも恋愛や結婚をしなければいけないのもわたしにとっては他の人もやっているからでその基準を満たせば親に否定されなくなると思っていたからだった。

 

年々生きづらさが減ってきている。

いろんな人並みを諦めてあれにもこれにもなれないことがわかった今の方が、未来に希望が持てる不思議。

歳食うにつれて何も期待されなくなってきてどんどん生きやすくなってきた。

わたしに期待していた親から離れた。わたしも自分自身に、やりたくもないことを期待するのをやめた。

それに自分には「あの頃はよかった」と思えるような輝かしい青春時代が一切ないので、特に戻りたい日々がないのだ。どの時期にも二度と戻りたくない。強いて言うならストレスがない今が一番マシ。

若さを失っていくけど元からブスなので落差がないしね。ちやほやされることも若くて得したことも多分人よりは少ない。

わたしが世間や他人から強制されているように感じてしんどくなっていたことは、全て自分自身が内面化して強迫観念を抱いていたからだった。なので社会が変わらなくてもわたしの期待と違ってても今は大丈夫。

現状も十分快適なのだけれど、これから老いればもっと世間がほっといてくれるだろう。だからこれからどんどん生きやすくなってくるかもしれない。

 

いわゆる孤独な独居老人になるのが怖かった。ふわっとしたイメージで。

でも案外いけるかも、わたしの場合。

今の生活がほぼ孤独な独居老人だけど、これがかなり快適なのだ…。こどもの頃からずっとぼっちだったので孤独耐性が異様に強くなり、一人で延々と遊んでられる。

普通に家事してるだけで楽しい。特に自炊はお手軽に幸せになれる。

本を読んだり創作したり、たまに猫触りに行ったり。なにより好きな仕事してるし。

お金の問題とか色々あるかもしれないけど、それもきちんと情報収集してリテラシーを付けていけばある程度は対応可能だと思えてきた。日本は福祉が充実しているらしいしね。

 

そんな感じでババアになるにつれなんか生きていけるような気がしてきた。今まで生きていけるような気がしていたことなんてなかったので大快挙だ。

去年の今頃は死ぬことしか考えてなかったんだけどな。未来に希望が本当に一切持てなくて将来の目標とか夢も怖くて持てなかったから、はやく死にたかった。

今も落ち込むとたまにそう思うけど、かなり安定してきたと思う。

家族と縁切ってからどんどん健康になっていく。正直ここまで回復すると思ってなかったから自分でもびっくりしている。

 

目標は猫が好きなので、猫を飼うこと。猫と暮らしたい。

猫と暮らすためには未来について考える必要があって二の足を踏んでいたのだけど、自分の将来にも向き合う覚悟ができてきたからまた一歩前進したと思う。

まずはしっかり自分の人生を安定させていくこと。

そのために、生き延びるための情報収集をしてリテラシーをしっかり身に着けていくこと。特にお金のこととか税金の知識とかかな、今の自分に必要なのは。精神面でのセルフケアはこの1年でかなり上達したと思う。

それと、自分のアダルトチルドレン的な部分の治療をこれからも進める。自分に対して優しくなりたい。

親に認めてもらえなかったことをずっと引きずって根に持っている。でも他人は変えられないので、これからも幼少期に欲しかった無条件の愛情が親から与えられることはない。

他人がしてくれなかったことにフォーカスを当ててると他人が変わらない限り自分は救われないことになる。親は変わらないので、このままではずっと救われない。

なので親は認めてくれなかったけど自分で自分を認められるからよい、という状態に持っていきたい。これからは親にしてほしかったことを自分にする。

親にされて嫌だったことを他人にしてしまったり、親の嫌いな行動パターンが染みついてる。それもやめたい。他の生き方ができるはずだ。