20211123  悲しい気分に浸る

生理前っぽい。いつもより情緒が荒れている。

生理前は無性にイライラするというか、イライラするものを探しに行ってしまうというか。何を見ても裏になにかあるんじゃないかと疑ってしまう。いつもそういう傾向はあるけど、生理前は酷くなる。

基本的に人間を信用してない。しないようにしてる。だからいつも粗探しして、油断しないようにしてる。そのせいで生きづらいんだけど。

 

この前のカウンセリングで色々発見があった。

・警戒心が異様に強い→集中するのが怖い→作業中のぐるぐる思考がやめられない

・生い立ちのこと 忘れたい⇔油断したくないから嫌な思い出忘れたくない 矛盾

・まだ感情を吐き出すフェーズが完了してない

 弱い自分が許せない 不安になった時に感情を抑え込もうとしがち

→①0/100 白黒思考にハマりがち。完全に弱音を吐かなくなるんじゃなくて段階的に移行していければよい

②気分の落ち込みがあった時に我慢しない 在宅なので泣きながらでも仕事はできる

・自分の感情が非合理的、効率が悪いことに苛立ちを覚える

他人はコントロールできないのに自分がコントロールできなかったら何もコントロールできないことになる→不安

・ぐるぐる思考が始まったり気分が荒れてきたら、自分を冷静に観察するようにする

いつものめりこんでしまうから苦しくなる

・自己否定感 今の自分というより、過去の自分が許せない

・期待しない

 

悲しい気分に浸りたい時がある。そういう時は日記を書いたり、このブログを書きに来る。無意識に抑えつけてる節があったので、今後は気が付いたらやるようにする。

感傷的な気分に浸ることへの嫌悪感があって、しないようにしてた。

昔から人に弱みを見せたくないから表では愚痴を一切言わない方だったけど、ツイッター依存を経験してより嫌になった。

ツイッターは今まで抑えつけてた感情を言語化するのに役立ったけど、ある時からずっとそれしててもしょうがないなって思うようになった。

自分の悲しみを吐き出す作業が、いつしかいいね稼ぎのかまってちゃんムーブになる。

個人的な背景を社会の偏見のせいや不平等に還元して嘆き悲しむツイートは、より反応されやすくなる。無意識にそういうノリに影響されて、思考も悲劇のヒロイン症候群気味になっていく。

陰キャ同士で傷の舐め合いしてても成長はしない。自分が成長しなければ同じところをずっとぐるぐる回ってるだけ。

嫌なことがあった時、ストレスを感じる時にツイッターで病みツイして構ってもらえたらそれで満足してしまうから、具体的な改善策や行動を起こさなくなる。

他責思考と被害者意識だけ強化されて、不幸を嘆くわりに改善するための努力や行動はせずにせっせとツイッターで病みツイばかりして…未熟な自分には向き合わずに世間の風潮や不公平を嘆いてばかりで…そういう人間だった。

だから、昔の自分を見てる気分になるツイッターのカスは嫌いだ。

だから感情に振り回されて具体的な行動をおろそかにするのはやめようって気持ちが強くなってたんだけど、今ならあの頃よりはうまく感情を向き合える気がする。

 

「今は家を出たから安全なのでは?」という話になったので考えてみたけど、今も安全ではないと感じる。

生家にいたころよりは格段に安全で、快適だ。でも生きてる限り安全ではない。

今日生活できてるからって、明日もそうとは限らない。仕事が不安定なのもあって余計にそう思う。今安全だと思わない方がいい。安心しない方がいい。

「私は大丈夫」だとか安心した瞬間に大丈夫ではなくなる気がする。

家族以外にも、信じられないほど頭と性格が悪くて対話が成立しないタイプの人間はいる。そういう人間はわりといる。利用しようとしていい顔で近づいてくる人間も。

人間の善意なんか信じてたら見抜けない。疑いすぎるくらいの方が損失は少なくて済む。

仕事ももっとちゃんとできるようになって実績を積みたい。それだけが安全に繋がる。 

誰にも頼れない 誰も助けてはくれないという感覚が強い。

子供の頃からそう感じてたのは不幸だったけど、20歳以降はこれが正しいんじゃないだろうか。

 

とはいえ、家族に頼れる人は大人になっても躓いた時に支えてもらえるんだよなぁ…。

具体的に支援があるかどうかより、自分が困った時に家族は支えてくれるだろうという確信があるのが大きい。

幼少期に無条件の愛情を与えられた人間は、本当に追い込まれた時でも絶対に味方してくれる人がいるという感覚があるのかもしれない。辛い時に親の顔とか思い出すらしい。想像できないけども。

私の親は私が本当に苦しんでても悲しみはしない。私が仮になにかの精神疾患の診断が付いても、心から心配はしない。嘲笑うだけ。陰でバカにして盛り上がったり。

わたしというアクセサリーの社会的価値が下がれば不機嫌になってみせることでコントロールしようとしたり、心配しているから説教というていでモラハラまがいの嫌味を言ってきたりはする。わたし個人の人生を心配しているわけではない。すべては自分の体面と自尊心を保つため。

自分の子供になんでそういう態度取れたのか、時が経って冷静に見れるようになればなるほど理解不能ですが…世間の人間って私の親よりは人間味あるっぽい。

でもないならないなりにやるしかない。ないものねだりしてしまう弱い自分が嫌だ。

 

ずっと穴を埋めなきゃと思っている。幼少期に与えられなかった愛情の埋め合わせ。

薄々この穴は埋められないんじゃないかと思い始めてもいる。

創作は癒しになるけど、穴は埋まらない。むしろ穴が埋まらないからネタが尽きない。

この穴と、歪な自分とうまいこと付き合っていくしかないのかもしれない。

でも歪な自分を見るとそれを作った両親のことを考えてしまうから、他の誰かになれないことを受け入れたくないんだよなぁ。