最近の過ごし方など

忙しく過ごしてて更新が開いた。最近のこととか諸々の進捗など。

今日は仕事頑張って疲れたから、精神も少し疲れてる。温かい飲み物を入れて、好きな曲聞いてまったりブログ書き始めたら泣きそうになってきた。

 

ネット依存対策の進捗

最近はワーキングスペースを借りて、無理やり外に出る機会を作ってる。

外にいると物理的にネットする時間が減る。

仕事の効率も上がって完全在宅ワークだった時より生活にハリが出て、かなりいい感じ。

YouTubeを見すぎちゃうのとエゴサしてしまうのはまだ治ってない。特にエゴサは毎日してしまうな…。YouTubeにコメント書くのとぐちったーはしなくなった。これでかなりストレスが減ったかも。

今後は今の生活を続けて慣れて、徐々にネットへの依存度を下げていきたい。

課題は家での過ごし方、特に疲れた時に延々スマホ触るのとエゴサがやめれなくなってしまうのが課題かも。

依存の根本にありそうな社交不安については、長くなったので別記事にした。

 

ACについて

回復を焦る気持ちと、親を憎むことへの罪責感を最近はよく感じる。

自分自身が幸せな家庭への憧れが強いからなのか、「親に感謝しないといけない、和解して許さないといけない」という価値観を内面化してしまって苦しくなってる。

対話が成立する家庭ばっかりじゃないし、すべての親がこどもに無条件の愛情注げるわけじゃないし、家族だから味方とは限らないし…。

そういうことはわたしが自分で理解していればそれでいい。

「親を愛さないこどもはいない」とか本気で言ってる幸福な家庭で育った人に自分の考えを理解させようとか思ってない。

家族愛を美化する風潮が世間にあっても別にいい。そういうのを好きな人がいても否定しない。尊重したいと思う。

「世間にそういう風潮があるからわたしは苦しいんだ~」とか泣きわめいて他人や社会を攻撃するタイプの人間がとても嫌いだ。

 

問題は自分の中での内面化。そして絶縁後も残った自分の中の様々な感情をどう処理するかだと感じている。

わかりやすく虐待されてたらもっとストレートに憎めたとよく思う。日常的に殴られてたわけでも犯されてたわけでもないから、親が悪いと言い切って社会的に賛同されるとは思えない。でも自分の中では苦しかった。

関心も愛情もないのにぱっと見愛情のある優しい両親を演じるのが上手いので、外の人に言っても理解されないだろう。当事者の自分でさえ二十歳超えるまで違和感を言語化できなかった。

カウンセラーさんは職業上否定しないで聞いてくれるけど、立場上そう言ってくれてるだけだと思ってる。

出来の悪い娘が可愛くなかったけど、世間体と自分への言い訳のために愛してるふりだけは続けた。世間で言われる虐待のラインを超えないように配慮する小賢しさと、娘自体がどういう人間でなにを考えているかには微塵も興味がない冷淡さ。

20年も見てりゃ気付くわこっちもな。そういう内心が透けて見える両親を好きになれるはずもなく信用もできず。

親がAC気味でコミュニケーションが下手だったり、親の親にやられて嫌だったことを再演してんだろうなと思う部分もあった。わたしも子供だったから色々未熟だったりうまく感情表現できないこともあった。実際は双方に問題があったんだと思う。

それを理解した上でわたしがあの人達を一人の人間として評価した場合にも尊敬できないし反吐が出るほど嫌いだと思ってるのは、すべてを「問題児の娘のせい」にしようとしたから。

どっちが悪いかなんて言っても仕方がない問題でわたしが悪いと言われ続けてわたしは自分を守るために親が悪いと言い続けて、絶縁した後も心の中でそれが続いてる感じだ。

家族とか抜きにして対個人の関係として見るとしても、人間同士の関係の問題でどっちかだけが完全に悪いなんて現実的じゃないと思うけど。わたしだけが悪いことにしてめんどくさいことから逃げ続けて向きあってくれなかった両親が人として大嫌い。

自分の人格の歪な部分は家族との関係の中で生まれたものなのに、その事実を「親のせいでこういう人間になった」と表現すると誰かから「人のせいにするな」と責められるような気がして憎むことに罪悪感がある。

その誰かも親なんだけど…二言目には「人のせいにするな」と言われ続けたし。

親の言うことを真に受けてた時期も「愛されて育ったはずなのになんで自分はこんな仕上がりなのか」と期待に沿えないことへの自責感からの自己否定で苦しかったし、親を否定してもそんな自分に対して自己否定が始まってどちみち苦しいなぁ。

こういうこといつまで気にして悩むんだろうと思う。

生まれ育った環境のことを完全に忘れるのは無理なのはわかってるけど、いつまでも親ガチャ外れた不幸を嘆いてしまう自分も弱くて嫌で。

親に無条件で愛されたかった。ふりじゃなくて本当に優しくて愛情のある両親だったらよかったのに。そう思い込みたかったけど物心ついた時点から信用できてない人には騙されることすらできなかったなぁ。

そんなこと嘆いても仕方ないし、ないならないなりにやっていくしかないだろうと自分に言い聞かせている。

愛されて家族仲いい家庭で育った人間がいるらしいというのは知識として知ってるけど、伝説上の生き物みたいで現実感がない。うちみたいに張りぼてだけの家じゃなくて?世間へのアピールじゃなくて本気で家族が好きだとか大事とか言える感性が生きてる世界が違いすぎて理解できない。怖い。

親に愛されて育ったっぽい人が怖くて羨ましくて仕方がない。

毎日色々ぐるぐる考えてしまう。未だに悲しくて泣く。この感情をどう処理していくか考えてる。やっぱ創作しかないかなぁ。生きている上で救われない感情とか消化できないものを創作に落としこむとすごくいい感じになる。

 

しょうもない人間に構っていたくない。ノイズが邪魔。

しょうもない人間がたむろするような場にはもういたくない。

愚痴とか弱音とか自己憐憫を延々仲間内でループしてるだけで、自分の人生にプラスになる行動を一個もしてないじゃん。そんなんで人生好転するわけないわな。

これは去年までの自分に対して思うことでもある。少し前の自分に似ている奴は見ていて腹が立つものだ。

弱音や自己憐憫が必要な時期もあるけどわたしはもういいかな。今ツイッターでわちゃわちゃやってる人はまだ痛みを言語化して吐き出しまくることが必要な時期なんだろう。孤独な人間は思想にすがりたくなることもある。昔よりは多少は優しい目で見れてるかもしれない。

自分の人生に集中しなくちゃと最近とみに思う。今の自分の人生と、今やるべきことに集中したい。 

仕事と作品が好きだから、自分の弱さのせいで作品が不幸なことになってしまったら申し訳ないと思う。

人生のいろんな場面で、作品に生かされていて守られていると感じることが多かった。今も毎日思う。親は守ってくれなかったけど作品はわたしを守ってくれた。

 

今日はかなりポエミー度高いな。本ブログではこんな感傷的な文章恥ずかしくて出せないから、こっそり吐き出せる場所を作っておいてよかった。