202191昔の日記読み返してダメージ食らう

にああ~かなりショックだ…。引きずりそうなのでコーピングのために今書いてる。

昨日昔の日記を読み返してて、朝起きたら時間差で落ち込んでた。読んでる時は爆笑してたんだけど、ちょっと今はだるくて動けなくなりそうな気配がある。動けてるけど、だるい。体がだるおもい、ずーんとする。

 

一番落ち込んでた時期の日記に家族のことに一切触れてないのが逆にショックだった。今思い返すとあの家にいたことがストレスだったのに(実際家を出てからの数年でびっくりするほど健康になってきてる)、当時の自分は自覚できていなかった。

 

当時の自分は「両親に愛されて育ったはずなのになんでこんな仕上がりなのか」とか自分を責める言葉が多くて、自分にかける言葉がとにかく酷い。あまりに自分に対する仕打ちが酷くて、我がことながら可哀想になってしまった。

「こんなんで頑張ってるつもりなのか」って繰り返し書いてるけどそれ母親が裏で陰口言ってた内容と全く一緒なんだよなぁ…

母親の陰口を聞いてしまった時のことは日記には記されてなかった。闇。

未だに普通の家庭がわからないけど、本当に愛情注がれて育った子は裏で両親が自分の陰口で盛り上がってるの聞いてしまったりとか、そういうことは無いんじゃないかと思う。父親に公害呼ばわりされたりしないんじゃないかな。忘れてたわ。その呼び方。

完璧になろうと、いい子になろうとしていた。違う人間になろうとしていた。あの頃はそうならなきゃいけないと思ってダメな自分を責めていたけど、なんでそこまで脅迫的にいい子で正しくいようとしていたのかは考えもしなかった。

内向的で人と関われなくて暗い自分は母に否定されるからだった。

わたしが不幸になったら両親はきっと悲しむだろうと本気で信じたかったみたい。まともじゃないとがっかりさせる、悲しませると思ってた。親孝行したいとか書いてた。

実際はあの人たちは子供に興味はない。わたしに興味はない。

がっかりはしていた。「娘というアクセサリーが、自分の期待通りでないと自分たちの自尊心を傷つけられたように感じて不快になる」という意味において。

「家庭を持ってるまともな自分、まともな家庭を持ってる自分」という体裁だけが大事なので、子供を一人の人間として興味を持って向き合うという発想すらなかったんだろう。

 

自分を傷つけることが両親への攻撃になると思って知らんおっさんとヤッたりしたこともあったけども、そもそも親はわたしに興味がないので、世間体に関係することでなければわたしがどうなろうと興味なかっただろう。

でも諸々の自傷行為はしてよかったと思ってる。自分が苦しんでることをやっと自覚できた。

一時期首絞めを日常的にやりすぎて常に手が震えてる時期があったんだけど、それも日記には書いてなかった。ツイッターで報告してたからなのもあるかもしれんけど、そういう重要なことに全く触れてないあたりに闇を感じた。

ちなみに呼吸制限を日常的にやって毎日酸欠になると、脳に影響が出るというのを実地で体験したな。家出てからは首絞めしなくなったので手の震えもなくなった。あとものが掴めなくて取り落としたりとかも無くなった。

月一で鼻血出てたのはストレスなのか酸欠の影響かわからん。これも家出たらなくなった。

リスカとかわかりやすい自傷行為をしてなかったんで自分はそこまででもないと思ってたけど、今思い返すと中々限界だなぁと思う。本当に色々。

なぜか人に対して萎縮してしまうのも家離れてからなくなったなぁ。拒食症気味で食べることが苦痛だったこととか、本当に細かい限界不健康エピソードは上げだすとキリがない。

家族の声を聴くと死にたくなるので常にヘッドホンでなにかしら聞きながら過ごしてたのとか。寝る時も音楽か水音bgmながしてた。家族の生活音、話し声が聞こえると死にたくなって、ひどい時は震えてその場から動けなくなって固まったりしてた。これは精神医学的にはどういう状態なんだろうな。適応障害とか?全部家出たらなくなった。

今読み返してもバカだし色々できないことあってダメな子だけど、社会的サポートも知識もない中で一人でよく頑張ったなぁと思う。なんか本当に読んでて可哀想になってしまったので、今の自分が労わってあげたい。

いくらダメな子だったとしてもあんな形で心理的な罰を与えたり、切り捨てて嘲笑するような親はおかしいよ。もっと違うやり方で子供に寄り添える親もいるはずだよ。と今になっては思う。

 

心理的に罰されたと言ってるけどそもそもそれは思春期あたりの話で、幼少期は身体的な罰もあった。これが虐待なのか未だに自信がない。わたしが虐待ってことにしたいのか、本当にあの家が歪んでいるのかいまだに判断がつかない。

些細なことで父親がキレて蹴ったり殴ったりしてきたので父親がこわかった。今も怖い。足蹴られてへたり込んだの覚えてる。「こういう時人は頭を一番にガードするんだなぁ」と思いながら殴られてたのか蹴られてたのか、なんかガードしてたのを覚えてる。母親が間に入って庇ってくれた記憶が全くない。

でも小さい頃なら怒られて少し叩かれるくらいは誰でもあるような気もする。わからない。でも、母親はあそこまで手は上げなかった。悪いことしたときにビンタされるくらいはあった気がする。母親の手をあげる頻度と比較して考えると父親のキレやすさはDⅤと呼んでもいいレベルだったのでは?わからない。いまだに自信ない。

虐待の当事者は虐待を否認するという知識と、実際に普通の家庭でも多少叩かれたりはするんじゃないかという疑問どっちもある。あからさまに毎日ぶん殴られて親に死ねとか言われてる方がまだわかりやすい。うちはギリギリグレーというか、かなりわかりにくいし人に言っても理解してもらえるか微妙なラインだと思う。理解されないと思ってるので、カウンセラー相手でもない限り人には言わない。

 

幼い頃わたしは弟を虐待してた。お風呂で顔に水をかけて息できなくするのが楽しかった。あと車のおもちゃに頭を叩きつけて「たのしい」と言っていた。なんでやったのかわからない。

親が自分より弱い子供にマウントをとって、わたしは自分より弱い弟に同じことをしたんじゃないかと今になって思う。幼稚園の時耳の聞こえない子を意味もなく差別して攻撃したのも同じ動機では?

小学校の頃は盗み癖があった。意味もなく嘘もついてた。本当のことを人にいいたくなかったのではないかと思う。持ってる教科書をないですと言ったりとか。よくわからない。

自分が加害者になった時のことはカウンセラーにも言わなかった。あまり思い出したくない。弟にひどいことしたこと。弟もわたしにひどいことたくさん言ったけど、今は申し訳ないと弟に対しては思う。虐待の加害者に対して色々言いたくなるのは当たり前だよねと今は思う。 弟には大学生ぐらいの時に一度謝って和解しかけたんだけど、なんかその後もダメで修復不可能なほどこじれてしまった。普通に性格の相性が悪いのもあったのかもしれない。

もう実家とは絶縁したので今後関わることはないが、弟に対しては今は憎しみはない。彼もアダルトチルドレンで大変だろうけど、人生うまくいくといいねと今やっと思えるようになった。なんかこの文章書いてるうちに消化できた。

 

父親のことはどうでもいい。正直。好きか嫌いかで言うと好きよりかもしれない。

DVは単身赴任から帰ってきたらしなくなった。キレやすい性格も丸くなってた。

それにあの人は無関心な感じをあまり隠さないので、母親に感じるような気持ち悪さはない。

しんどいのは母親。父親と同じで無関心で冷たい人間なのに、世間にいい母親に見られたいがために過干渉してくるのが最悪だった。

裏で陰口言ってるのバレてるのに、わたしが助けを求めて向き合ってほしい時にことごとく無視してきたのに、ケーキ焼いて優しい声色で話せばいい親ぶれるとでも思っていたんでしょうか。その浅はかで薄汚い性格が気持ち悪い。無理。嫌い。人として嫌い。

 

許せないと思っている自分が苦しいから執着を手放したいと考えている。まだわからないけど、少しずつ自分の気持ちに整理がついて変わってきている気もする。

 わたしが親にやられて嫌だったことを人にしてしまうように、親もわたしにやったようなことをされて育ってきたのではないかと思う。

両親の祖父母の言動を思い出すとまぁまぁ思い当たる節がある。

だから誰も悪くはないのではと思うことも最近ある。代々負の連鎖が続いていて、この家に生まれたのは運が悪かった。わたしも両親も弟も、祖父母も。

運が悪いことに理由なんかないので、わたしはわたしの傷を癒すことだけ考えればよいかな~とも思う。

 

以前紹介した共依存の本を読み進めていて、そこに出てくる「人生の棚卸」をわたしもやるようになってきた。いや、前からしてたけどさらに意識するようになった。

読んだ時はしんどそうだからわたしはやんないかなぁと思っていたけど、やってみるとすっきりする。昔のことはしんどくてあんまり思い出したくなかった。最近それも変わってきてるように感じる。

あの家を出て今2年?3年?くらい人と関わらない仙人みたいな暮らしをしていて、今の生活の中で自分がどんどん癒されて回復してきてるな~というのを実感する。ここまでよくなると思わなかった。

拒食症気味で食べるのが苦痛だったのに今は自炊が趣味になってる。今年の頭までは生きる意欲が低すぎてすぐ死にたくなってた。未来に希望がなかったので…今は目標があるので、未来のことを考えれるようになった。猫飼いたいんや。

色々吐き出したらすっきりしたし気分も戻った。コーピングできてえらい。