20210821 怒りへのコーピングについて

ブログ開設したら記事書くのが楽しくなっちゃった。

このブログは自分の内面、精神的な課題について定期的に振り返る場にしたい。

次の振り返りは29日にする。

 

前からの主な課題は怒りのコーピング。

 

「ネガティブな他人」が気に障って仕方がない。社会に対してとか、他人に対して憤って攻撃的になっている人を見るとしんどくなるしものすごいイラつく。

現状に文句を言うだけでなにも行動に移さないところが、昔の自分に似ていて不快なんだと思う。

これでも一時期よりはマシになったけど、それでもイラつくことがある。

縁切りした家族に昔言われたことやされたことを思い出してイライラすることもよくある。

 

今まではそういう人に対する気に入らないところを延々と並べ立ててしまっていたんだけど、そういう自分にも違和感がある。相手に問題があると思っていても、人を責めたり見下すような発言をするのは自分の心に負担をかける。

気に入らない他者でなく、気に障ってしまう自分に意識を向けた方が建設的だと思い始めてきた。

 

少し前までセラピールームに通っていたのだが、そこでの相談内容も主にはこれだった。

怒りへの対処は今もできているのかよくわからない。そもそも不快にならないように、そういう情報がある場所から距離を置いている。重度のツイ廃だったのでツイッターやめて、親とも絶縁した。この2つでかなり改善した。

自衛はできるようになってきたけどそれでもふとした拍子に目に入る情報でイライラしてしまうことがあって困っている。怒りの元から距離をとる技術はついたけど、運悪く嫌なものを見た時の感情の処理がまだ拙い。

カウンセリングで教えてもらったのは「タッピング」とか。なんか体触ってるうちに気が紛れて大丈夫になる的なやつ。でも怒った時にあんまりやろうという気持ちになれない。

 

解決策として今考えてるのは、逆にとことん見て向き合って、作品に落とし込めるレベルまで考え抜くこと。

どこが嫌なのか、どう嫌なのか、嫌さの構造を解析できるところまで行くと不快なものは不快なままだけど「理解できないものに対する恐怖、嫌悪」は減っていく。なにがどう不快なのか言語化できることで消化できる部分がある。

今書いている作品にもそういう側面があるけど、次のテーマとしてネタにするというのが一番健康的かもしれない。

ネタとして活かすためにも、愚痴ってストレスを発散してしまうのはやめたい。もったいない。そのまま熟成すればいいものができるかもしれない。

 

次の振り返りまでの目標はぐちったーを使わないこと。アナログ日記はギリOKにする。でもネタを思いついたらそっちの方がいい。

あとは作品の参考になりそうな分野に関して、敢えて刺激の強いしんどい情報を取りに行くこと。

ただこれはメディアは選んだ方がいい。ツイッターみたいに素人の偏見と感情論が濁流のように流れてくる場所は処理する情報が多すぎてきつい。同じテーマでも、本は一人の意見が編集者も通してある程度推敲して書かれているので、まだ冷静に読める。偏ってる本はあるんだけど、偏ってる素人が10人一気に喋ってるよりは偏ってる専門家一人が喋ってる方がまだ聞ける。

作風的に、きついしんどい情報はわたしの作品には必要。嫌なニュースを1件見るのは不快なだけだけど、100件200件単位になってくると概要を分析できるようになってくる。そこまで行く必要がある。